最後の避難所
全村避難した双葉町民7000名のうち、1200名が旧埼玉県立騎西高校に身を寄せた。2012年12月には146名が残された。
その圧倒的多数を占めるのが、災害弱者に該当する高齢者だった。その居住実態は、体育館や教室に畳を敷き、段ボール紙のパーテーション以外に、世帯を区切るものはない状況で、個々のプライバシーが確保しがたい。
食糧は、現在は自己負担となっているが、炊事環境がないめ、避難者の多くは、やむなく、コンビニ食品を購入してそのまま食するか、またはレンジで温め食していて、栄養価的にバランスの取れた食糧を摂取できているとは到底言えない。さらに、食費を浮かせるために三食を食べずに二食で我慢している実情も聞いた。このような劣悪な食事環境により、栄養失調も懸念されている。
これで憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されているといえるだろうか。
原発事故で全村避難となり、最も深刻な被害を受けた住民には国や加害企業である東京電力から手厚い生活支援がなされるべきなのに、こうした被害者がかくも深刻な生活を強いられている実態は衝撃的というほかない。しかも、避難民の圧倒的多数が災害弱者として特別な配慮が求められる高齢者なのだ。
弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子 2012年12月
写真:2011年4月 天皇皇后来訪 宮内庁HPより
2012年末に避難所は閉じられた。1年9ヶ月に及ぶ避難生活のあと、このお年寄りたちは…?
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。