福島レポート 8
「アジアンカンフージェネレーション」(アジカン)の後藤正文さんが編集長を務めているThe Future Times第5号(2013年7月発行)では、福島県立博物館長の赤坂憲雄さんとの対談を掲載している。そこには、震災直後の南相馬市小高区井田川浦の景色が写真とともに紹介されていた。
赤坂さんが見た、一面の泥の海にしか見えなかったところは、実は干拓された水田で、それまで干潟や浦だったところに堤防を築き、排水ポンプで塩と水を抜いて水田としたところだった。
そういった埋めたてて水田としたところは、福島県から宮城県にかけての太平洋岸に至るところにあり、今回の震災の津波で排水ポンプ・水門・防潮堤の多くは大きな被害にあって破壊されたと述べている。
私が撮った画像には、津波によって破壊された防潮堤と、元は整然と積み上げられていたはずの消波ブロック・テトラポッドが津波によってゴロゴロと転がされた跡として残っている。
水ブーさんからの投稿です。
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