避難の権利 

原発賠償関西訴訟原告団の代表は福島から自主避難された本当にごくふつうのおかあさんです。関西サポーターズのMLより転載させていただきました。

森松明希子です。

いつもご支援と応援・サポートに心から感謝申し上げます。

8月5日~10日まで、
里帰りボランティアバスに乗せて頂いて、
福島県郡山市の自宅に一時帰宅させていただきました。

私が「避難する」という選択をした人間であるなら、
私が福島で1年ぶりに再会した(ふつうの)お母さんたちは、
事故から3年5ヶ月の間一度も郡山から離れなかった「とどまる」という選択をした人、
そして、
一度は福島から避難したけれど4月の子どもの小学校入学を機に福島に「帰還する」という選択をした人でした。

一緒に福島県郡山市で出産した私たちの子どもは皆同じ歳で、
現在小学校1年生です(被災当時は3歳児)。

ペップキッズ郡山(そこが公園ではなくて屋内遊戯場ということが3年半近く経った福島での現実です)で
たった一日ずつ、子どもたちを遊ばせながらでしたが、
それぞれの選択をした母親たちは、
どの選択をした他の母親たちのことを尊重しつつも、
苦しい胸の内を吐露していました。

私が一番心に残った言葉は、
「とどまる」という選択をしたお母さんが、
「私が(三者の中で)一番意識が低いような気がする・・・」とポツンと言ったときでした。
その後に続けて彼女はこう言いました。
「考えないようにしている。考えていたら生活できないから。でも考えなきゃいけないんだよね、ホントは。
でもやっぱり私が一番考えてないんだと思う。とりあえず意識しないようにしてるんだろうね・・・(遠い目)」

放射線被曝の恐怖から免れ健康を享受する権利は
等しく全ての人に与えられなければならない権利だと思うのです。
それは、直接人の命や健康に関わる最も重要な基本的人権だからです。

人の命や健康より大切なものはありますか?
人の命よりも守らなければならないものはあるのでしょうか?

人の命や健康について、考えないように、意識しないようにして生きていく、
ということ以上に
命と健康に向き合う(合わされている)行為はないのではないか、
私はそう思います。

私に言わせれば、
「避難」出来て、はい、それで終わり、
ということのほうがずっとずっと「一番考えてない」のだと思います。

「避難する」というのは何かのアクションでも偉い行動でもなんでもなく、
当たり前の、生命体の本能として命を守る選択を「たまたま」することが出来た、
その条件があったから避難を選択し得ただけなのです。

それは、「たまたま」原子力災害に直接的に被災せず、
福島第一原発から700キロ離れた土地に住んでいた関西の皆さんと同じなのかもしれません。

そしてそれは、原子力発電所はまあまあ近くにあるけれども
その近くの原発が「たまたま」事故を起こしたわけではないので
原子力災害に遭遇せず被害に今は遭っていない(ようにみえる)という
日本全国の皆さんも同じなのだと思うのです。

「帰還」の選択をしたお母さんも、
「これから(ここ郡山で暮らしていくこと)はある意味、自分を殺して生きていくんだと思うよ・・・(やはり遠い目)」と仰っていました。
低線量被曝にこれから直接的に向き合う人のある種の「覚悟」のようなものを感じました。

「帰還」「とどまる」という選択をしたお母さんお二人はやはり
「現地で声を上げるのは非常に難しい」とのことでした。
ですが、私が遠く離れた関西で声を上げることについては、
おおいに賛成だし心から応援している、
どうか頑張って声を上げ続けて、と言われました。

これについて、私はなにも「託された」とか「代弁をしている」
という気持ちは全く持ち合わせていません。
私は私で、二人のお母さんに、
声の上げ方を間違ってはいけないと思っていることや母子避難の選択の中での苦悩を沢山話しました。

対峙するべきは放射線被曝であって、
ふつうに暮らしている人々は誰も「分断」をさせられてはならないと思うのです。
原子力被災者、原発避難民はもちろんのこと、支援の方、無関心な方々も含め、
全国民、いえ、世界中の人々が、
意図的に向き合うべき方向を間違わされてはならないのだと思うのです。

「帰還」のお母さんは、
「自分もいつか時機が来れば・・・」と仰っていました。

時機が来れば・・・というのはそう、
「世論が変われば」「世論の後押しがあれば」
ということにほかなりません。

結婚を機に福島に住むことになった私にとっては、
数少ない福島の友人たちですが、
私は今回の一時帰宅で、
福島のリアルなお母さんの声を聞いて、
やっぱり思いました。

声をあげられるようになった人から声は発し続けるべきなんだ、と。

原子力災害を経験して、
たまたま関西に避難させていただいている私に「今」出来ることは、
少しでもリアルな「声なき声」を発信しつづけることだけなのかもしれません。

ですが、そのことによって、
いずれは全ての原子力災害の被災者が
それぞれの思いを「自由に」声にすることが出来るような
そんな世の中になって欲しいと思うのです。

「避難した人」「とどまった人」「帰還した人」全てに
それぞれの選択に応じた具体的施策が実施されますように、
全ての原子力災害の被害者が恒久的に救われる事を目的とする
「避難の権利」を求める私たちの裁判は、
決して負けることは許されない裁判なのだと思っています。

今一度、この原発倍賞関西訴訟が
「避難の権利」が憲法上の権利であることを認めて頂く裁判であり、
「人権救済裁判」であるということの真の意味を
関西の皆さま、いえ、日本全国の皆さま、いいえ、世界中の方々に
ご理解いただきともに声を上げていただけましたらと思います。

どうか、真の福島の復興を願ってくださるのなら、
福島の母たちの、福島の人々の声に耳を傾け、
ともに歩んでくださいますよう心からお願い申し上げます。

注)放射線は県境では止まらないと私は思っていますから、
ここでいう「福島」とは、
「放射能汚染地域」と読み替えて頂ければ幸いです。

提訴して1年ごしの大阪地方裁判所での第1回裁判期日には、
ぜひ、福島にとどまり放射線被曝の恐怖と日々向き合っている方々にとっても
勇気の出るような、そんなメッセージがここ大阪から届けられますよう、
どうかお一人でも多くの方々に裁判所に足をお運びいただき
ともに「声」を裁判所、そして社会に届けていただきたく存じます。

9月18日(木)午後2時開廷の大阪地方裁判所202号法廷の傍聴席を、
どうか満席にしてください。

特に全国にちらばる避難民の方に、この情報が届きますように、
皆さまのお力を少しずつお貸し下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
どうぞ宜しくお願い致します。

原発賠償関西訴訟原告団代表
森松明希子

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≪せいぶらいふあくしょん≫  

2013年11月、若者3人とおやじで始めました。

light(明るい、軽い) で、 たのしく 無理なく、対話を通してface to face(顔の見える関係作り)を進めます。 

この横断プロジェクトは特定の団体に属さない非営利の市民活動です。

福島第一原発事故を教訓に、放射能から身を守り、脱原発を願う人たちとあらゆる思想・信条を超えてつながります.

≪手をつないでください≫ 

このアクションに共感し、No Nukesを願う人誰でも歓迎です。
ひとりひとりが自ら考え行動する。手伝える人は手伝う。
ネットでつながるゆるやかな会です。

このプロジェクトに参加ご希望の方はinfo@save-life-acton.org、または☎080-5325-7128〔平野)まで

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