「避難指示解除」後の飯舘村(上)帰還農家が背負う「開拓者」の苦闘

新潮社foresight1.22

2017年3月末、6年ぶりに避難指示が解除された福島県飯舘村。その中、標高約600メートルにある比曽地区は厳寒のさなかだ。全87戸のうち帰還は4戸。農業を営む菅野義人さん(65)は生業再生を期したが、国の対応はずさんだった。
除染後の農地の地力回復工事が同年秋まで延びて持ち主への引き渡しが遅れたうえ、汚染土のはぎ取り後に露出した無数の大石が残され、農業を知らぬ土木業者の粗雑な工事を自らやり直しするなど、解除後の1年は「無」だった。

掘り出された大小の石は撤去される当てもなく、数えきれぬ徒労を証言するモニュメントのように積み重ねられている。
「あぜんとした。その場その場を取り繕うような対応を重ねて、誰も地元に責任を取らない。おそらく記録にも残していないだろう。後に残るのは、除染をして避難指示を解除し、農地再生を支援し、被災地への住民の帰還を後押しする事業をした、という政府の言い分だけ。そんなやり方で幕引きをされ、後は自力で生きろ、と言われているようなものだ」

菅野さんは、比曽に入植した初代から数えて15世代、約400年続く農家で「肝入」(名主)も務めた。比曽は高冷地の開拓の難儀、数々の大凶作、家族を犠牲にした戦争を乗り越えて耕し、肥やし、守ってきた農地、集落であるという。「それが復興の原点。先人の労苦を思えば、乗り越えられない困難はない。原発事故もまた歴史の試練と思い、帰還以外の選択肢は自分になかった」

あんふぇす

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