あの時を心に刻む (55)

避難所から仮設住宅へ (1) 国・県・東京電力の動き
5月8日、第一原発の敷地内や海からストロンチウム90が初検出され、 事故の深刻さがあらためて確認される。
4日後(12日)、東京電力は事故後 初めて第一原発1号機のメルトダウン(炉心溶融)が3月12日には起きていたことを認め、その後2・3号機も同様だったことを認める。当初広報担当審議官や専門家らが指摘していたことを2ヵ月後に追認するかたちとなる。
5月15日、計画的避難区域とされていた飯舘村、川俣町で住民の避難が始まる。また、6月19日には政府が本県牛肉の出荷停止を指示、同30 日には伊達市に特定避難勧奨地点が設定されるなど、放射能汚染の実態が次第に浮き彫りとなってくる。
福島県は7月8日、 『 「ふくしま」の子どもを守る緊急宣言』を発表、県民 自身による除染活動や県内低線量地区での自然体活動などを支援する。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【写真】朝日新聞8.19 出荷停止解除 弱って倒れた牛に水を与える酪農家=福島
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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