あの時を心に刻む (58)
避難所から仮設住宅へ (4) 情報収集・避難所調整班 (2)
避難町民を訪ねて話をすることも大きな役目となった。本部から離れた避難所では、町職員の姿がなかなか見えない中で苛立ちを募らせている場合も少なくなかったため、初めはその責めをぶつけられる。だが、話しているうちにわかってくれる。そういうことが多かった。とにかく顔を見せなければと思い、ほとんど毎日、歩いていまわった。
富岡町民がいるのかいないのか、なかなか把握できないところもあった。 主な避難所には職員がいて、情報が上がってくるが、現地職員も把握しきれないところもあった。そのため直接そこを訪ねて調べ、町民がいたら聞き取りをして情報をもらうよう努めた。 避難の一時受け入れは県内どこでも行っていたので、調べる場所は点々とかなりの数にのぼった。そこをまわりながら洗い出すという作業を、4月、 5月と続けた。その後、県外も同様に歩いた。
【写真】四国新聞4.19.2012 原発避難「無人の町」で桜満開/福島・富岡町
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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