あの時を心に刻む (60)
杉戸のほか、幸手、宮代に分散していた避難者の数は落ち着き先を変えるなどで減ってゆき、最初に宮代の避難所が閉じられた。6月、7月になると、仮設住宅に当選し福島に戻るなどしていった。最後まで残ったのは、放射線量ができるだけ低いところでと願う、子どもがいる若い家族だった。小学校に入学する子を持つある町民は、もっと遠くに行きたいという話をしていた。 他県より少し遅れて8月から埼玉県内でも、みなし仮設住宅の受け入れが始まった。避難所に最後まで 残っていたのは、当分は埼玉県内に住もうと思った町民だった。
【写真】杉戸町HPより 避難当時
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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