あの時を心に刻む (61)
避難所から仮設住宅へ (7) 埼玉県杉戸 (2)
残念だが、ここにいる間にも原発事故避難者に対するバッシングはあった。東電から賠償金が一時的に先払いされるといったようなニュースが伝わると、駐車場の福島ナンバーの車の前にごみ袋が置いてあったりした。また、地元の利用者といっしょに利用する浴場で「100万円もらったならもう出ていって、どこかで生活しろよ」とまともに言われ、ショックを受けたという訴えも少なからずあった。ごく一部からのものであったが、みんなが傷ついた。
警戒区域になる前は、必要なものを取りに富岡町の自宅に戻ったりした町民もいる。それを知った住民から、スクリーニングをきちんとやっているのかと問い合わせがあり、証明書を確認させてもらったこともある。 いじめにあって三春町に移ったという小学生もいた。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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