不安抱え「とにかく西へ」
【写真】2011年3月12日午前6時07分 福島県大熊町 朝日新聞3.12.2011
5年前の今日、避難は早朝から始まった。 そして今も帰ることは叶わない。
原子炉の圧力を下げるため、放射能を含む蒸気を外部に放出する作業を始めた東京電力福島第一・第二原発。半径10キロ以内の住民らに国から避難指示が出たため、地元の福島県大熊町など4町の住民ら約5万人が内陸などへ避難を始めた。「とにかく西へ」。いったん身を寄せた避難所から、行き先も示されないまま不安の中で移動を始めた。
避難誘導は、白い防護服に身を包んだ十数人の警察官が担当。避難所は物々しい雰囲気に包まれた。
「とにかく西へ向かって下さい」。避難所の責任者を務める同町の課長がスピーカーで叫ぶ。住民から「ここに待機できない状況なのか」「すでに放射能が漏れているということか」と詰め寄られたが、課長らは「私らも正確な情報がないんです」と言うばかりだった。
明確な行き先は示されないまま、高齢者や子ども連れなどを乗せたバスは内陸の田村市や郡山市方面へ向かった。住民を運ぶバスの手配が十分にできないとして、自家用車で避難することも指示された。
バスは途中の避難所でも数百人の住民を乗せ、ひたすら西へ向かった。男性は「移動場所の指示もなくいったいどこへ行けばいいのか」と話した。
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