あの時を心に刻む (82)
新学期が迫っていた。ほかの子どもたちはどこにいるのか。そして教師たちは──。学校は川内村への避難時に「避難解除まで臨時休校」としていたがいつになるかわからない。学校はどうなるのか──。
各校の校長は教職員の安否と状況確認を始めていた。さらに各担任の教師を通して、受け持っていた児童・生徒らの保護者の避難先や連絡先を収集し、名簿作成が大急ぎで進められた。教職員も子どもたちも県外にまで避難していた。特に子どもたちは60%以上が県外に逃れ、その範囲は全国のほぼ全県に拡がってい た。 作成した名簿をもとに子どもたちは避難先近くの学校に転入手続き(区域外就学)するよう、保護者に連絡した。 同時に、子どもたちの避難先の教育委員会などへの受け入れ要請、県 内市町村の避難所から通学するためのバスの手配も同時に行われた。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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