あの時を心に刻む (84)
学校の再開(三春校開校) へ
避難の混乱の中で迎えた新学期、子どもたちも教職員も、大きな不安を抱えたままスタートを切った。それにしても富岡町の学校はどうなってしまうのか──。 間もなくこの問題の大きさが認識されることとなり、「学校再開」が走り出す。
富岡町の小中学校の教師たちは、7月末までの暫定措置として富岡町の児童・生徒らがいる地区の学校に勤務 (兼務)した。しかし授業も担任も持たず、間借りして体を置かせてもらっているというかたち。肩身が狭い、いたたまれない。あちこちに聞いてみるとどこも同じような状況で、「もしこれが長く続くのだったら堪えきれそうにない。富岡の学校を立ち上げることはできないのか」という声も聞かれた。
教師たちでさえこんな思いに苦しんでいる。ということは、子どもたちだって同じだろう。行った先の学校になじめない子どもの相談や不登校などの話も届き始めていた。その子どもたちも「富岡町の学校」があれば、安心して通うことができるのではないかという考えをもとに、まず県の教育委員会に富岡一小・二小、一中・二中の4校を残すことを伝え、校長の配置を依頼した。教職員はそのまま残ることになる。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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