あの時を心に刻む (85)
次に空き校舎を探した。郡山市近郊、三春町内などにここはと思う校舎もあったが、了解を得られなかった。 新たに仮設校舎を建てるしかないのか。だが費用がかかりすぎる……。 そこに、三春町にある曙ブレーキ製造の工場が空くという情報が入った。内々に打診してみると「使ってもらえるのであれば使ってほしい。ただ、 会長の了解をもらわなければ」と言う。 急きょ町長らといっしょに東京の本社を訪ね、経緯を説明、三春工場の建物と敷地を使わせてほしいと頼んだ。回答は「あの土地でよければ全部使ってもいいですよ」。二つ返事だった。
敷地内には運動場もある、倉庫もある。事務所棟の骨組みもしっかりして、耐震も対応している。これを校舎として改修しても、費用は5,000 万円くらい。プレハブ校舎を建てる半分以下だ。 ただ、用途区域や建築基準など、 クリアをしなければならない問題もいろいろあったが、結果的には緊急対応として押し切った。 敷地全体を見ても、独立した一つのエリアを形成しているので管理もしやすい。「富岡の学校」を一括してまとめることができる最高の場所─ ─そう判断し、決断した。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【写真】富岡第一小学校・富岡第二小学校 HPより 2015.3.02 現小学6年生が授業参観に来ました。来年から中学生です。
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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