あの時を心に刻む (39)
ビッグパレットふくしま避難所 (10) 給食班
最初のころ配ることができたのは、 パンとおにぎりだった。おにぎりは 県からの要請で南会津町の業者が つくってくれていた。それが、大型 トラックで夜に届いた。1万個から 1万5,000個という数で、このかたちを基本とした給食がほぼ1ヵ月続 いた。だが、4月になって気温が 高くなると、中には糸をひいたりするものが出始めた。数を揃えるため に作ってから置いておく時間もあっ たろうし、配ってからも1日ぐらい たってしまう場合もあったためと思われた。
全国から駆けつけた保健師や栄 養士がそんな給食を見て、この栄養ではだめだと心配していた。しかし、あてがいぶちの給食、人数も多いため、すぐに自主的な対応をすることは難しかった。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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