あの時を心に刻む (90)
学校が落ち着いてくるほどに、足 りないものが目立ってきた。たとえば、 大きなグラウンドはあったが、そこにあるべきブランコや鉄棒などの遊具がなかった。一小の校長は、母校(千葉大学)が卒業生に向けて発信していたメール情報を通じて、遊具建設のための資金支援を呼びかけてもらえないか頼んでみた。すると、間もなく毎日のように義援金が届き始めた。そこに遊具の現物を提供したいという遊具会社が現れ、欲しいと思っていた遊具をすべて届けてくれた。集まった義援金で施工することができた。
この支援は、たまたま二小の校長も千葉大学出身だったこと、さらに同大学の学長が子どものころ請戸小に通っていたという縁があったこともあいまって、その後もさまざまに続けられた。園芸学部の実験施設である植物工場の寄付、子どもたちの困難を乗り越 える力を向上させるレジリエンスの連続授業、中学生への放射線教育、運動会や学習発表会の手伝いに来てくれた 学生ボランティア等々。 ほかにもさまざまな支援を受けて、 子どもたちの笑顔と歓声が三春校を満たしていった。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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