あの時を心に刻む (40)
支援物資として届いてい るカップ麺や汁物を供給出来るよ うにするため、敷地内で火を燃やす許可を取り、弁当供給の会社から大鍋を借りたりしながら、ビッグパレット敷地内での炊き出しを実現した。
炊き出しボランティアを受け付けるなど、一時は寝る間もないような忙しさだった。当初2,000人以上いた避難者は、その後の移動もあり、やがて1,500 前後で落ち着いた。それでも大所帯であることに変わりはなく、炊き出し ボランティアの申し出もありがたかっ た。ボランティアの申し出はビッグパ レットに集中していたので、市内の他の避難所の状況を見て、そちらでの実施をお願いすることも少なくなかった。
6月に入って仮設住宅の入居が始まると、同じビッグパレットの近隣敷地に設けられた仮設に入った住民の中には、その後も給食を受け取りに来る人がいたが、給食数は徐々に減っていった。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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