あの時を心に刻む (42)
ビッグパレットふくしま避難所 (13) 救護班(救護所/診療所)
医師たちは、それに応えて館内で治療活動ができるようにするため、「臨時診療所の開設」を県に要請した。19 日、許可されたとの報があった。救護所は診療所としての体制を整え、組織を充実させていった。治療活動の核となるボランティア医療班の立ち上げに 当たって必要なスタッフを館内放送で呼びかけると、看護師1人、薬剤師1人が応えてくれた。3人の医師と合わせてこの5人によるボランティア医療班が編成された。
後に2,500人前後に落ち着いた避難入居者の数は、当初はさらに多く、医師の手元には2,700人というメモが残っている。ボランティア医療班だけでは対応しきれない。駆け付けてくれた一部のDMAT(災害医療チーム)も、救急の処置が必要な災害外傷の避難者がないのを見届けると戻っていった。
そんな中、郡山市の星総合病院長の出身先ということで入ってくれた東邦大学のDMATは、スタートしたばかりのボランティア医療班の支えとなってくれた。4月に入って6月までの期間は、県に要請して派遣してもらった日本医師会のJMAT(日本医師会災害医療チーム)のサポートを受け、各地避難所の巡回も 含めて協力連携し活動した。
写真はイメージ。本記事と直接関連ありません。一般社団法人福岡市鍼灸師会facebookより転載させていただきました。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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