放射能と闘う保育者たち 原町聖愛こども園の7年(1)
河北新報7.02 安全/奪われて知る「恵み」
【写真】園庭の小川で自由に遊ぶ子どもたち=2018年5月下旬
東京電力福島第1原発事故から7年。原発から24.5キロ地点にある「社会福祉法人ちいろば会 原町聖愛こども園」(福島県南相馬市)は、放射能汚染によって自然との触れ合いをメインとしていた保育を奪われた。泥団子が作れない、よく転ぶ。外遊びが存分にできなかった子どもたちには異変が現れた。安全を守るにはどうするべきか。自らに問いながら必死に子どもたちと向き合ってきた保育者たちの7年間を追う。
<園庭 本来の姿に>
5月下旬の晴れた日。園庭には、はだしで走り回る子どもたちの歓声が響き渡っていた。
端を流れる小川には年長児。「先生見てー」と男児が持ってきたのは、川の底からすくった昆虫の抜け殻だった。「おしりがハサミになってる」と興味津々で見つめる。すぐそばでは「アメンボいた」と声が上がり、数人がゼリーのカップで捕まえるのに一生懸命だ。
遠藤美保子園長(66)は「子どもは本当に外遊びが大好き。園庭だけでも、生き生きした姿を取り戻すことができてよかった」と笑顔だ。
同園が現地で保育を再開したのは、原発事故から7カ月後の2011年10月だ。3カ月前から、職員と保護者は園庭の除染を必死に続けた。
ブロック塀の隙間に生えたコケをブラシでこそげ落とし、木は汚れを落とす効果のあるクエン酸を溶かした水で拭き、高圧洗浄をかけた。放射線量の高い木は伐採し、木製遊具は撤去した。業者には表土3センチをはぎ取ってもらった。
除染、清掃活動を毎年欠かさず行い、園庭で自由に遊べるようになったのは15年のことだ。「なんとか自然環境に触れさせたい」(遠藤園長)と、小川を作った。ポンプでくみ上げられた井戸水は、木々に囲まれた約10メートルの岩場を流れていく。虫や鳥たちが寄ってきた。
砂場は、地面から約60センチの高さに新設。放射線量が高い土が雨が降ったときに流れ込まないように、という配慮からだ。砂は鶴岡市で採取したものを洗い、放射線量を測った上で使っている。
<「里山」は高線量>
園庭は安全に安心して遊べる場所になった。「だけど」と遠藤園長が視線を向けたのは、目の前にある小高い山。歩いて5分ほどの通称「里山」は原発事故が起きるまでは、探検ごっこやターザンごっこ、木イチゴ摘み、落ち葉遊びと、季節問わず子どもたちの格好の遊び場だった。雨や雪が降ってもカッパを着て遊んだ。
遠藤園長は「自分が園長をしている間に、里山に遊びに行ける日は来ないね、きっと」と唇をかむ。
今年5月、里山に空間放射線量を測りに行った。除染後にもかかわらず、大きな木の下で1.721マイクロシーベルト、転がって遊んだ南側の斜面は0.233マイクロシーベルトあった。「事故前が0.04マイクロシーベルトだったことを考えると、除染済みでも安心はできない」と遠藤園長は言う。
<不安な日々続く>
「自然は形、色、匂い、一つとして同じものはない。子どもの好奇心を刺激し、遊ぶ意欲を育んでくれる。この自然の偉大な恵みを、奪われて初めて思い知った」
いつになったら、子どもたちを野山で伸び伸びと遊ばせることができるのか。大事にしてきた保育の理念を取り戻すことができるのか。見通しのつかない漠然とした不安と闘う日々が続く。
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