<避難解除の先に>景色一変 消えぬ不安
水田の目と鼻の先に、除染で取り除いた土壌などの仮置き場が広がる
12日の福島県葛尾村を皮切りに、同県川内村、南相馬市の一部に出されていた避難指示が7月までに解除される。東京電力福島第1原発事故の発生から6年目。各地域は本格復興への一歩を踏み出すが、生活再建の道は決して平たんではない。戸惑う地域の表情を追った。
<廃棄物の山>
除染廃棄物の山が視界と地域の展望を遮る。
「農業で生計を立てるのは難しいだろう」
葛尾村の松本和雄さん(68)が厳しい表情を浮かべる。苗がそよぐ水田からわずか数十メートル。視線の先に、除染で発生した土壌などを保管する仮置き場がある。
昨年からコメの実証栽培に取り組んでいる。たとえ安全基準をクリアしても、異様な光景に好印象を抱く消費者はいないだろう。
「これからも風評被害に苦しめられるんだろうな」。松本さんが嘆いた。
村内では31カ所に仮置き場が設けられている。保管量は1トン入りの袋で40万個を超える。国は福島県内で発生した除染廃棄物について、同県双葉、大熊両町に建設する中間貯蔵施設への集約を計画する。だが、用地取得は難航し、実現のめどは立っていない。
避難指示が解除されても、行き場のない大量の廃棄物は地域に滞留し続ける。「帰還意欲を減退させかねない」。各自治体は危機感をあらわにするが、手の打ちようがないのが実情だ。
南相馬市小高区の沿岸部に位置する行津(なめづ)地区。仮置き場の敷地面積は50ヘクタールに迫る。同市の避難区域にある11カ所で最大規模となる。
20戸余りの集落のうち帰還を予定するのは2戸だけ。東日本大震災による津波被害を受けたとはいえ、住民減少の要因はそれだけではない。
「仮置き場を敬遠して移住を決めた人もいるよ」。地元の佐藤勝正さん(67)がつぶやく。生活再建に向け、避難先のいわき市から自宅に通っている。
所有する水田約1ヘクタールは除染廃棄物が入った黒い袋の下敷きになっている。来年3月には土地が返還される約束になっていた。「いつまで保管し続けるのか。なりわいが戻らなければ地域再生が遠のいてしまう」
<作業に遅れ>
除染を巡る住民の不満と不安は、廃棄物の管理にとどまらない。
葛尾、川内両村は生活圏の除染を終えているものの、南相馬市では400区画以上の宅地について本年度に作業を持ち越した。住民同意が得られないなどの理由からだ。一帯では、解除後も高線量の地点が点在しかねない状態が続く。
南相馬市小高区の清信清一さん(60)は隣接する空き家を気に掛ける。雑草が生い茂り、伐採した庭木が山積みになっている。除染の形跡はうかがえない。
国は年度内に全区画で作業を終える考えだが、所有者の意向に左右されるだけに、完全実施の保証はない。「散歩もできない。皆が安心して戻れる環境なのか」。清信さんが怒りをにじませた。
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