あの時を心に刻む (46)
町に残っている住民の救出・ 捜索 (1)
ビッグパレット避難所に入って3日ほどが過ぎて、町民自身による安否確認も進んでくると、他の避難所も含めて確認の取れない町民の存在が浮かび上がってきた。それは家族ではなく、同じ地区の隣人などから 「この人がまだいない」という問い合わせであることが多かった。また川内村にいるころから、津波被災関係者からの「流されてどこだかわからない、行方不明だ」という訴えや、行方不明の人についての問い合わせがあった。再度の避難のため中断していた現地捜索を再開した。年配の職員が輪番で毎日富岡町に入り、これらの町民の状況確認をする。自衛隊または消防団と一緒 に、「救出に入る」というかたちだった。3月18日からスタートした。
朝8時半ころ自衛隊の貨物車に乗 りこんで出発。車両は5台か6台で、 水とパンを積み込んで、現地を目指す。職員は道案内役だ。途中、船引で防護服を着用して行くのだが、富岡町に入るのは2時くらいになって しまう。30キロ圏内に入ってから は、1キロおきに止まって線量を測り、無線で連絡しながら進むためだ。 全面マスクもして、日中の気温が上がってくると、ゴーグルが曇ってき て……。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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