あの時を心に刻む (97)
福島第一原発が稼働を始めて約40年。トラブルはあっても、全町避難や原発の爆発など全く想定していませんでした。訓練や備えの面でもそうです。
今回の事故で、避難に使った国道288号は渋滞しました。事故前から県や国との間で道路の拡張が話に上がっても、「避難対策を取ればいたずらに町民の不安をあおる」と言われれば納得してしまう。「原発は安全」という考えが染みつき、誘致当初はあった危険性への認識も薄れていました。それが40年も原発立地地域で生活する、共生するという危うさだったと今は思います。
避難の際に国や東京電力が持っていた危機感が町に正確に伝わっていれば、せめて町民に「数日分の生活必需品と貴重品を持って出てください」と伝えられたかもしれません。
しかし、危機的状況だと分かれば、町民も大騒ぎになり、爆発前のスムーズな避難はできなかっ た可能性があります。非常に難しいところですが、いずれにせよ原発の安全神話を過信していたことは何よりの反省点です。
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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