あの時を心に刻む (47)
町に残っている住民の救出・ 捜索 (2)
全町避難ということで町を出たが、どうしてもその流れから外れてしまった人や情報が届かなかったなどで、まだ町内に残っている人がいた。「逃げない」という人、逃げ忘れた人、親が寝たきりで逃げられないという人…。自分で動けず逃げられなかった人は救出した。各家を回ってその状況を確認しながら、残っていた人には話をして避難をすすめた。 初めて入った日は約20名くらいの町民を連れ出した。 回ってみて最も多かったのは、情報がなかったという人だ。全然連絡がなく、周りの人がいなくなった と思っていたという人もいた。逃げなくてはならないということを理解 していなかった。何が起きているのかの意味がわからない。私たち自身、今になってさえわかっているのかわ からないぐらいの話だし、まして放射線に色がついているわけでもない。 ただ、周りに誰もいないというのはわかっていたと。強制的に連れ出すわけにはいかないので、余分に持って行った水や何かを置いて、ひとまず引き下がる。そのほか、牛や動物を飼っていて一緒にいないといけないという人。 何度訪ねてもうんと言ってくれない人には、身内の人を教えてもらって 自衛隊の衛星電話をつなぎ、直接話をしてもらうなどした。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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