ベネフィット(利益・便益)なきリスク

原発事故後の子ども保養支援(人文書院) 「はじめに」より
「煙草の副流煙は拒否できるのに、なぜ原発事故由来の放射性物質を拒否したらワガママだと言われるんですか。原発事故で私が何を得したんですか」 その言葉を電話口で聞いたのは、二〇一一年春のことだった。そのとき、私は被災地向けに支援施設情報を提供するボランティア活動をしていた。そこに電話をかけてきた、 郡山市に住む妊婦さんが絞りだすように言ったのが冒頭の言葉だ。避難や防護などを行って日常を失うよりは、余計なことを考えず安心して生活したほうがよい。当時は私もそう考えていたので、無意識に相手を説得しようという態度を取っていたのかもしれない。しかし電話の向こうから伝わってくる声の震えに触れてハッとさせられた。
彼女が伝えたかったメッセージはおそらく次のようなことだろう。煙草を吸う人はそれによる快楽というベネフィット(利益・便益)を得ている。ワクチンも副作用というリスクがありながらも、免疫獲得というベネフィットを目的としている。しかし自分は原 発事故から何のベネフィットも受けていないのに、なぜそのリスクを受け入れろと言われなければならないのか。押さえつけられてきた素朴な疑問と悲しみが滲みでていた。 余計なことを考えず安心して生活できることは、原発事故によるベネフィットではな い。それは当然の権利なのだ。「原発事故が起きた」という非常事態は、それまでの秩序が割れてしまったような経験だった。目撃した私たちは、それらの破片を拾い集めてなんとか当事者に「日常」を取り戻させようとしていた。しかしそこからこぼれ落ちてしまった権利のかけらを、彼女は指さして教えてくれたのだった。 七年経って日常が戻ったかに見える現在でも、彼女が示してくれたような視点は重要である。それは「福島は危険だ」という意味でもなく、他人の考えを変えたいという啓蒙的な意図でもない。 原発事故が起きて、そこで生じたベネフィットなきリスクをなぜ自分が引き受けて耐えなければならないのか。その素朴な疑問への応答は、「そもそもそのような問いを抱えないといけないこと自体が間違っている」でしかない。「それは本来、あなたの義務ではない」としか私たちは言えないのではないだろうか。
リフレッシュサポート代表 疋田香澄(ひきた・かすみ)
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