あの時を心に刻む (48)

津波地区での捜索も一通り行ったが、当人の自宅まで行ってみようにも、電線やガレキなど津波直後の凄い状態で、確認のしようがなかった。 現地に到着するのも、自衛隊の指導を仰ぎながらやっとという状況だった。
この救出・捜索は行って帰るだけで 重労働だった。1回目では、自衛隊員もくたくたに疲れていた。それもあったのだろう、自動車道の降り口を乗り越して須賀川まで行ってしまい、夜も開いていた郡山総合体育館のスクリー ニング場に着いたのは深夜0時になっていた。トラックのような自衛隊車両で運ばれてきた20名ほどの町民は、寒い中、水で頭を洗わせられたり、手を洗わせられたりした。それからビッグパレットに案内してはみたものの、彼らが入るだけのスペースがない。やむなく給食を配っていた場所を提供して、毛布を渡し、休んでもらった。 この間に体調を崩す人も出た。救急車で搬送してもらった。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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