防護服姿で原発事故から5回目のお盆
朝日新聞8.14.2015
東京電力福島第一原発の事故から5回目の夏。原発がある福島県大熊町では13日、今年も放射性物質を防ぐために防護服を着て、お盆の墓参りをする人々の姿があった。
東京電力福島第一原発から約500メートルの距離にある墓を訪れた佐久間国幸さん、レイ子さん夫妻と長女の細谷梨絵さん(右)。帰還困難区域にあるため、防護服姿の墓参となった。周辺には倒壊を避けるため、横にされた墓石も見られた。
原発から500メートルにある墓地では、同県いわき市に避難中の夫婦が花を供えていた。「お墓、これからどうすっかな」。佐久間国幸さん(65)が墓石に問いかける。そこに眠る両親は、終戦後、大熊の土地を開墾した。一代で畑をつくり、梨で身を立てたことが、父の誇りだった。
父は原発事故の1年後に亡くなった。町から100キロ離れた同県会津若松市の仮設住宅で、胸の動脈瘤(どうみゃくりゅう)が破裂した。「ここでは死なない。大熊に帰る」と言い続けた父の納骨は、大熊の墓地の空間放射線量がある程度下がるまで1年以上待った。「納骨できたときは、やっと大熊に帰してやれてほっとした」
昨年、状況が変わった。除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設用地に、お墓が含まれることも決まった。墓がどうなるか、環境省からの具体的な説明はまだだ。
この日、墓地の空間放射線量は毎時10マイクロシーベルト。避難先のいわき市の100倍以上。立ち寄った自宅は、手入れもできぬまま雑草に覆われていた。
大熊にこだわり続けるのは現実的ではないと、頭では理解している。でも、両親が切り開いた地を簡単には捨てられない。「父は墓を移したら怒るかな。事故さえなければ、こんな悩みはなかったのにな」。答えを求めるかのように佐久間さんは、墓に向かってしばらく手を合わせ続けた。
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