<チャイム再び 福島・富岡小中の1学期>(1)

河北新報 8.21 超少人数/複式学級 指導手探り
福島県富岡町の富岡小中学校は今春、東京電力福島第1原発事故から7年ぶりに地元で授業を再開した。4校合わせて17人の児童生徒が同じ学びやに通う。規模も授業形態も事故前とは、がらりと変わった環境で、子ども、教諭、地域が一体となった学校運営を模索する。取材を続けた1学期の様子を紹介する。(郡山支局・岩崎かおり)
<児童 主体的に>
横田幸恵教諭(54)は児童5人の担任だ。小学3年の3人と、4年の2人を受け持つ。
超少人数の複式学級。一人一人に目が届くとはいえ、なかなか大変だ。
7月2日、2時間目の算数。3年生は「余りのある割り算」、4年生は「図形」の問題に取り組んだ。
横田先生は学年ごとに板書する。黒板は4年生用。3年生にはホワイトボードを使いながら、「14割る3は」と問い掛けた。
「割り切れないから、余りは2」。3人の3年生がそろって元気に答えた。
黙っていても、クラスの誰かが手を挙げる-。そうしたことは、ここでは通用しない。子どもたちが主体的に発言しないと、授業にならない。
小学校の教諭は校長、教頭を含めて6人。複式学級での指導経験者は一人もいない。それでも、手探りしながら少しずつ、手応えを感じるようになってきた。
「分からないことは恥ずかしくないと、伝えてきたからか、子ども同士で尋ねたり、教え合ったりする場面が増えた」
横田先生は「自分たちで解決しようとする力が養われる」と複式学級の利点を見いだしている。
<「家族みたい」>
原発事故に伴う富岡町の避難指示は昨春、帰還困難区域を除いて解除された。町内居住者は今月1日現在で738人。避難先から戻った人ばかりではない。
5.6年担当の尾形泰英教諭(36)が受け持つ長谷川芽唯(めい)さん(11)は、いわき市の小学校から転校してきた。
クラス5人のうち、4人が上級生。たった1人の5年生の芽唯さんは「絶望的な気持ちだった」と、転校したての頃の不安な心境を表現する。
尾形先生は孤立しないように工夫した。
例えば国語の授業。一緒に季語を学んで俳句を作った。まさに、教科書通りの授業にとらわれないようにしている。
学年の垣根はどんどん下がっている。給食は1階のホールに集まって食べる。小学生、中学生、教職員が一緒。昼休みや放課後もみんなで遊ぶようになった。
「中学生とも家族みたいに過ごせて楽しい」と芽唯さん。少人数も悪くないかな、と思い始めている。
<万策尽くそう>
何とか授業が成立した-というのが、1学期を終えた教諭らの思いだが、悩みは尽きない。
どのように多様な考えに触れさせるか、もっと一緒にできる授業はないか、理解度の違いにどう対応すればいいのか…。
「万策尽きるまでやってみよう」。岩崎秀一校長(59)は口癖のように、先生たちに呼び掛けている。
原発事故から8年目。ようやく再開できた地元での学校生活。
「この学校に戻ったことを、子どもたちに後悔させたくない」と尾形先生。「いずれは富岡から複式学級のモデルを発信したい」と力を込める。
[富岡小中学校] 福島県富岡町の富岡一小、二小、富岡一中、二中の計4校から成る。富岡町は東京電力福島第1原発事故で全域避難となり、4校は2011年9月、避難先の同県三春町で授業を再開。帰還困難区域を除く避難指示解除から1年後の18年4月、富岡町内で授業を再開した。改修した富岡一中の校舎を使う富岡校は児童生徒17人。避難先に残る三春校は22人。
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