「ずっと仲良くしてね」 福島・川内村
声聞こえますか:原発避難の子ども/2 毎日新聞 9.6
友も、もとのくらしも失い、原発事故に翻弄される子どもたち
「これから1時間目の授業を始めます」。がらんとした教室。自分でかけた号令に1人で立ち上がる。福島県川内村の村立川内中学校の1年生は、秋元千果(ちか)さん(13)だけだ。
8月25日、2学期最初の授業は学活。担任の鈴木香奈子さん(28)は、千果さんの隣の席に座り、夏休みの宿題をチェックし終えると「夏休み、何が一番楽しかった?」と尋ねた。「盆ダンス」。即答した。村の盆祭りのことだ。離ればなれの級友と会える特別な時間だった。
東京電力福島第1原発事故前、千果さんには18人の同級生がいた。村民は福島原発事故で一時、ほとんどが村外に避難した。千果さんも両親と兄、祖父母の6人で、約40キロ離れた福島県郡山市の仮設住宅で約1年暮らした。村は避難自治体では最も早い2012年1月に「帰村宣言」を出し、4月に学校を再開。これに合わせて一家も村に戻った。都市部での仮設暮らしに疲れていたし、両親が村で仕事に就くことができたからだ。
帰還する前、母サチさん(47)は小学3年だった千果さんに聞いた。「戻るのは学年で1人だけみたいだけど大丈夫?」。「大丈夫」と元気よく答えた。「そのうちみんな帰ってくる」。そう思っていた。
昨年10月、村の東部地域に出ていた避難指示が解除されたが、級友は戻らなかった。1人きりの教室は4年目に入った。ただ、全校生徒は千果さんを含め13人いる。給食や体育、道徳の授業で上級生と一緒になる。「1人だけど1人じゃない。みんながいるから楽しい」。でも、寂しくないわけではない。
8月15日、昼下がりの日差しが照りつける盆ダンスの会場。浴衣姿の千果さんは、級友だった遠藤夏月(なつき)さん(13)を待っていた。「なっちゃん!」。紫の浴衣を着た夏月さんを見つけると、笑みがこぼれた。
2人は幼稚園からの幼なじみだ。千果さんは母から携帯電話を借りて、時々無料通信アプリ「LINE(ライン)」で連絡を取る。2人は祭りが終わる深夜まで学校や部活、恋愛の話に花を咲かせた。
夏月さんは両親と兄の4人で11年末から東京都に避難している。だが東京の暮らしになじみきれず、「ずっと川内に戻りたいって思ってる」。父一彦さん(37)はその気持ちを知っているが、東京での仕事は軌道に乗ってきたし、高校受験を控えた夏月さんの兄の進路のこともある。結論をすぐに出せない。
帰って来ない級友それぞれに家族の事情があることを千果さんは分かっている。だから、夏月さんに「戻ってきなよ」とは言わない。それでも、いつかまた一緒に学校に通える日を夢見ている。「ずっと仲良くしてね」。千果さんは夏月さんに、オレンジや白、ピンクのカラーゴムで編んだ腕輪をプレゼントした。「大事にするね」。夏月さんがそう言うと、2人はちょっと恥ずかしそうに笑い合った。
◇川内村
村の西部は福島第1原発から20キロ圏外で、2011年9月に緊急時避難準備区域(当時)が解かれた。20キロ圏内の東部の大半は避難指示解除準備区域だったが14年10月、解除された。一部に避難指示区域が残っている。人口約2700人で帰還率は6割。小、中学校は1校ずつあり、小学校は就学対象者84人中35人(42%)、中学校には同54人中13人(24%)が通う。
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