通学100キロ「続ける」 福島・双葉町

声、聞こえますか:東日本大震災 原発避難の子ども/4  毎日新聞9.08
 
福島県郡山市で避難生活を送る双葉町立双葉中2年、浪江侑加(ゆうか)さん(13)の朝は早い。いわき市にある学校までは約100キロ。5時に起き、6時前に父克彦さん(52)が運転する乗用車に乗り込む。

 2学期が始まった8月下旬。助手席の侑加さんは車が走り出すと「ちょっと見ておこう」とカバンから歴史の学習参考書を取り出した。バドミントンの部活を終えて帰宅するのは夜9時前。睡眠は5時間足らずの毎日で、車中の1時間半は予習復習や睡眠不足を補う大切な時間だ。

 東京電力福島第1原発事故で自宅は帰還困難区域となった。双葉北小3年生だった侑加さんは、両親と姉の家族4人で県内外5カ所を2カ月近く転々と避難し、いわき市立小に転入した。級友の多くは親切にしてくれた。だが「許せないこと」が一つあった。6年生の時「賠償金で好きなモノが買えるんだろ」とからかわれた。散り散りになった町の友達に携帯電話のアプリで相談すると、みな同じような体験をしていた。

 「賠償金で買った」と言われた学用品や服は、両親が防護服を着て自宅から回収し、きれいに洗ってくれたものだ。「黙っていてはいけない」。人前で自己主張するのは苦手だが、勇気を出して相手に説明した。

 小学校を卒業した昨春、双葉町がいわき市に開設した仮設中学を希望した。「町立学校なら痛みを共有できる友達がいる」と考えたからだ。両親は郡山市での自宅再建を決めていた。「いわき市に通うなんて無理だ」という両親を「1年だけでいいから」と説得した。

 開校時の同級生は3人。勉強で分からないことは教え合った。先生も全員が分かるまで教えてくれた。成績はぐんぐん伸びた。県の陸上競技大会で選手がいなかった走り幅跳びに「出ます」と手を挙げた。修学旅行先の京都で中学生約100人に「双葉町の今」を説明する役を買って出た。娘の変わりように両親は目を丸くした。

 「侑加さんが郡山に転校したくないと言ってます。話し合われてみては」。昨年11月、担任から連絡を受けた克彦さんは「やはり」と思った。家族の話し合いは年明けまで続いた。侑加さんはかたくなだった。「卒業まで無遅刻無欠席を続ける」。こう言い切る娘に両親は折れた。克彦さんは転居を機にいわき市での仕事を辞め、転職するつもりだったが、送り迎えと仕事を続けることにした。

 「まったく、よくがんばるよ。弱音ひとつ吐かないし、朝寝坊もしないんだから」。ハンドルを握る克彦さんがこうつぶやいても、横で勉強に没頭する侑加さんには聞こえないようだ。克彦さんにとっても送り迎えの日々は体力的につらい。だが、往復200キロ余の運転を娘と過ごせる幸せな時間だとも思う。

 原発事故でがらりと変わった生活のことを侑加さんはこう思う。「今のままでいい。たくさんの大人の善意を知ったし、つらい時も愉快に過ごす大切さを学べたから」futbamaaf

 ◇双葉町

 東京電力福島第1原発の立地自治体。町面積の96%が帰還困難区域で全町避難が続く。事故後、臨時役場を埼玉県加須市に置き、2013年6月からいわき市に移った。14年4月、同市に仮設の町立小中学校を開設。不登校の子どもも積極的に受け入れる方針を打ち出した。今年9月現在、21人が通う。

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≪せいぶらいふあくしょん≫  

2013年11月、若者3人とおやじで始めました。

light(明るい、軽い) で、 たのしく 無理なく、対話を通してface to face(顔の見える関係作り)を進めます。 

この横断プロジェクトは特定の団体に属さない非営利の市民活動です。

福島第一原発事故を教訓に、放射能から身を守り、脱原発を願う人たちとあらゆる思想・信条を超えてつながります.

≪手をつないでください≫ 

このアクションに共感し、No Nukesを願う人誰でも歓迎です。
ひとりひとりが自ら考え行動する。手伝える人は手伝う。
ネットでつながるゆるやかな会です。

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