あの時を心に刻む (52)
電話は鳴り止まない。かけてくる方にしてみれば、なかなかつながらない。電話回線は7~8本あった が、それがほとんどつながらないような状況が延々と続いた。何度も何度も、何時間もかけて、やっとつながる。電話を取るとみんな怒り心頭、これまでのことやこれからどうなるんだというようなことを1時間とか1時間半とか一気に話し続ける。
終わるとすぐにまた電話が鳴り、同じような対応の繰り返し。ストレスで心を病む職員が続出した。それにしても、そうして電話をかけてくる相手にきちんと伝えられる情報が少ないことがもどかしく、口惜しかった。町として具体的なアク ションを示せない、仮設住宅をつくるといった話も何もできないような 期間が、大分あった。町民にしてみ れば、自分は一体どうなるんだという不安が大きくなるばかり。誰もが最も辛い時期だった。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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