チェルノブイリより (53)
実はチェルノブイリ原発事故の直後、ソビエト政府は、一時350万人を超える都市住民全員の疎開を検討していたことが、事故から20年経った2006年に明らかにされた。ウクライナにとって幸運なことに風は南から北に吹き、放射性物質を含んだ空気のかたまり(プルーム)は、主に西や北へと流れ、キエフの1500年の歴史は首の皮一枚で未来とつながった。もし350万人もの首都住民が避難民となっていたならば、どんな悲劇が起きていただろうか。
それは、もし福島から南に風が吹いていたら、もし茨城の東海原発に押し寄せた津波があと数十センチ高かったら、東京圏に住む3500万人の人々はどうなっていたのかという恐ろしい連想につながってゆく。
チェルノブイリ26年後の健康被害 低線量汚染地域からの報告
馬場朝子、山内太郎著 NHK出版(2012年9月発行)より抜粋 その10
【チェルノブイリより】毎週木曜日に掲載します
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