カテゴリー:東日本より
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あの時を心に刻む (115)
2019.12.10
詳細を見る会津からの再出発 (3) 会津若松市は大熊町の西約100㎞。冬も比較的温暖な浜通り地方に位置していた町と、豪雪地帯に区分される会津若松市では気候や文化の違いが大きく、町民にと…
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あの時を心に刻む (114)
2019.12.3
詳細を見る会津からの再出発 (2) 全町避難後、数日のうちに東京電力福島第一原子力発電所では水素爆発が相次ぎ、早期帰還の期待はしぼんだ。一方で、着の身着のままの避難を強いられた町民の心…
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あの時を心に刻む (113)
2019.11.26
詳細を見る会津からの再出発 (1) 全町避難から約2週間後の平成23年3月25日、大熊町は会津若松市に拠点を移すことを発表した。避難所からの移動日は4月3、4日。役場機能のほか町立の幼…
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あの時を心に刻む (112)
2019.11.19
詳細を見る不安と混乱の中での“小さな自治” (4) 町を出たとき、またすぐに会えると思っていた人たちは生きているのか、どこに避難しているのか。 さらに、いつまで自分たちは避難所にいられ…
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あの時を心に刻む (111)
2019.11.12
詳細を見る不安と混乱の中での“小さな自治” (3) 小さい避難所で数十人、大きい所で1,000人を超える避難者に、職員だけで目を配るには限界があった。ある職員にとって最も気がかりだった…
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あの時を心に刻む (110)
2019.11.5
詳細を見る不安と混乱の中での“小さな自治” (2) 町民の避難先は町が把握するだけでも田村市、三春町、小野町、郡山市の避難所二十数か所に及んでいた。町は田村市総合体育館に災害対策本部を…
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あの時を心に刻む (109)
2019.10.29
詳細を見る不安と混乱の中での“小さな自治” (1) 平成23年3月12日早朝の避難指示で大熊町を離れたとき、職員も含め町民の多くは東京電力福島第一原子力発電所の状況も分からず、「ほんの…
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あの時を心に刻む (108)
2019.10.22
詳細を見る爆発後の3月14日に撮影された福島第一原発の衛星写真(AFP PHOTO/DIGITALGLOBE) 突然の避難指示(4) 12日午後2時ごろには、町内にひと気はな…
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あの時を心に刻む (107)
2019.10.15
詳細を見る上:震災の翌日、町役場の駐車場に現れた茨城交通のバス 下:町民の避難誘導を終え、三春町の中郷小体育館で暖を取る消防団員 突然の避難指示 (3) 県は避難先として田村…
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あの時を心に刻む (106)
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あの時を心に刻む (105)
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あの時を心に刻む (104)
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あの時を心に刻む (103)
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あの時を心に刻む (102)
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あの時を心に刻む (101)
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あの時を心に刻む (100)
2019.8.27
詳細を見る記録紙発刊にあたって(5) 町の復興については、遅いとお叱りを受けることも、よくここまで来たとねぎらっていただくこともあります。これで良いのかと自問自答の日々は現在も続いて…
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あの時を心に刻む (99)
2019.8.20
詳細を見る記録紙発刊にあたって(4) 卒業式ができない状況だった小学6年生のために田村市総合体育館で開いた「卒業を祝う会」では、喜びや励ましの声を多くもらう一方で、「田村市の学校でも…
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あの時を心に刻む (98)
2019.8.13
詳細を見る記録紙発刊にあたって(3) 避難先の田村市総合体育館では、何度も夜中に「悪い夢を見た」と思って目覚めました。そして横を見ると教育長や町議会議長が寝ている。「夢ではなくこれが…
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あの時を心に刻む (97)
2019.8.6
詳細を見る記録紙発刊にあたって(2) 福島第一原発が稼働を始めて約40年。トラブルはあっても、全町避難や原発の爆発など全く想定していませんでした。訓練や備えの面でもそうです。 今…
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あの時を心に刻む (96)
2019.7.30
詳細を見る記録紙発刊にあたって(1) 平成23年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から6年が過ぎました。この震災により、またその後の避難生活の中で亡くなられた方々に深く追悼…