「自分で判断」意識変化
揺れる子育て:福島原発事故から4年半/上 毎日新聞2015年09月16日
「除染が終わっていれば、公園の草も触って大丈夫。外出を控えさせた時期もあったので、外ではしゃぐ娘の姿を見るとうれしくなる」
8月中旬、福島県須賀川市の橋本友恵さん(33)は4歳と1歳半の娘2人を連れ、実家のある同県本宮市の公園を訪れていた。福島第1原発から西に約60キロ。本宮市は2011年度から3年かけて芝生を張り替えるなど除染を続けた結果、除染前毎時2・53マイクロシーベルトだった放射線量は0・16マイクロシーベルトに下がった。「数値が下がると安心する」
●数値に不安募り
11年3月11日、須賀川市の自宅で横揺れに襲われた時、当時3カ月の長女に授乳中だった。翌12日、第1原発の1号機が爆発。「危ない」と繰り返すテレビのニュースや近所の人たちの様子に焦りを感じた。原発から南西に約60キロ離れた同市では20日に毎時1・9マイクロシーベルトを記録した。翌月の11日は0・23マイクロシーベルトに減ったが、この数値が高いのか低いのか、判断もつかないまま不安だけが募った。長女を3カ月間ほとんど家の外に出さず、室内で遊ばせた。洗濯物は部屋干しし、家で食べていた県産米は県外産に変えた。
子どもを対象に放射線の影響を調べる県の健康調査のため、長女は2歳で甲状腺がん、3歳で内部被ばくの検査を受けた。首もとに機器をあてられる娘の姿に、「こんな小さな子がなんでこんな目に」と怒りとも悲しみともつかない気持ちがわいた。一方で、検査を受け、娘の体に異常がないと分かったことで安心した。市場に出回る県産品は放射性物質を検査済み。「検査してるから大丈夫」とコメも会津産に戻した。
「除染していればOK。検査していればOK」。放射線について冊子をいろいろ読み勉強したが、これが子どもの好奇心を抑制せず、福島で生活するための基準になった。今も子どもの肌着は部屋干しし、検査していない家庭菜園の野菜は食べない。不安が消えたわけではないが「自分で判断できれば、放射線とうまく付き合うことはできると思う」と橋本さんは言う。
●まず「測ってから」
子どもを預かる施設も試行錯誤を重ねた。福島市渡利(わたり)地区の「さくら保育園」。渡利地区は市内でも比較的放射線量が高く不安もあったが「避難できない家庭もあるはず」と休園せず、11年4月には90人以上が通園した。
砂場の砂を入れ替えるなど市の園庭除染が終了したのは11年6月。保護者の協力でさらに除染を進め、11年秋に園庭での外遊びを再開した。13年秋には専門家の協力を得て測定器を使って園周辺の放射線量を測り「線量マップ」を作製。低い線量の場所を通る散歩コースを設定した。
12年に約300万円かけ購入した食品放射線測定器は、検体を刻まなくても検査できる高性能機器。食べ物はもちろん、園児がつかまえたダンゴムシも生きたまま測定する。園の基準を国より厳しい1キロあたり10ベクレルに設定し、基準を超えれば食べさせないし、触らせない。園児も「測ってから」と検査することが身に着いている。斎藤美智子園長(60)は「本当は放射線のことを気にせず、子どもたちに虫に触ったり自然を感じたりしてほしい。その環境を取り戻すことが私たちの復興」と話す。
●リスクだけでなく
放射線の影響を避けるため夏休みなどの一定期間、子どもを県外で過ごさせる「保養」で悩む母親もいる。福島市の40代の女性は、小学5年と3年の兄弟を、夏休みのたび市民団体が開催する保養目的のキャンプなどに参加させてきた。夫が自主避難に反対したため、少しでも放射線の影響から遠ざけたいと思った。
しかし今夏、長男が「行きたくない」と言い出した。「同級生はみんな行かない。なんで僕だけ友達と離れないといけないの」。説得して参加させたが、落ち込んだ。「子どもの負担になっているとしたら何のための保養なのか。放射線のリスクばかりにとらわれず、考え直す時期にきているのかもしれない」
放射線のリスクの説明会などに参加する福島県立医大の緑川早苗准教授(放射線健康管理学)は「この2年ほどで、福島の母親たちの意識が変化してきた。震災当初は放射線への恐怖感が強かったが、最近は放射線のリスクを認めた上で、ストレスも含め子どもを守るためどうすべきか、自分で判断するという意志の強さを感じる」と話す。
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