あの時を心に刻む (114)
会津からの再出発 (2)
全町避難後、数日のうちに東京電力福島第一原子力発電所では水素爆発が相次ぎ、早期帰還の期待はしぼんだ。一方で、着の身着のままの避難を強いられた町民の心身の健康状態の悪化が目立ってきていた。
町災害対策本部を置いた田村市自体が一部に避難指示が出た区域を抱える避難自治体で、受け入れ側の負担も懸念された。さらに新年度を間近に控え、子どもの学校を心配する町民の声も強かった。
「どこか落ち着いた環境で、町も町民も一緒にこれからについて考える拠点が必要だ」。そう考えていた町長は3月17日夜、学校について相談してきた教育長に対し、4月からの学校再開とその場所の選定を指示した。
選定にあたっては、学校として使える場所があることのほか、希望するすべての町民を受け入れられる自治体の規模、医療機関の充実、福島第一原発からの距離などを考慮した。浮上したのが会津若松市。打診すると、会津若松市は学校として使える廃校に加え、幼稚園のために閉園した保育所、役場の拠点になる施設も提示してくれた。会津若松市長と町長の会談を経て、3月25日の発表に至った。
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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