おもてなし、浪江の味も
「たぶん、もう住めない」故郷を離れて、避難先から70km離れた浪江高校の仮設校舎に通う。
「被曝(ひばく)してんの?」。避難先の山形県の中学校に転校したとき、今野さんはクラスメートからいきなり言われた。
修学旅行先で「福島から来て大丈夫なのか」と言われ、泣きながら帰ってきた子どももいるという。
浪江について話すことにはためらいも。
それでも故郷のことなら「じゃんじゃん話したい」と思う。
「浪江は放射能と関連づけて報じられることが多いけど、それすら知ってもらえるチャンス」
写真:「おいしい!」と自分たちでつくった地元名物の焼きそばをほおばる生徒たち=いずれも福島県本宮市の浪江高
【新聞記事全文】 久しぶりに訪れた実家は野生動物のふんとほこりで覆われていた。何とも言えない臭いが立ちこめる。3年前、中学3年生だった今野亜莉沙さん(18)は土足で上がった。以前なら親に叱られていたが、「たぶん、もう住めない」。東京電力福島第一原発の事故で全町避難が続く福島県浪江町が、故郷だ。
今は避難先から県立浪江高校に通う3年生。仮設校舎は約70キロ離れた県内の本宮市にある。多くの生徒が、町の仮役場がある二本松市や本宮市など安達地方に住んでいる。
今野さんは浪江出身の同級生、熊谷磨美さん(18)らと昨年、県が小中高生対象に募集した旅行プランづくりに応募した。安達地方と浪江町を県外の人に紹介するプランの名前は「安達さこらんしょ~スイーツめぐりと、ちっと浪江~」。「ちっと」は「少し」という意味だ。
最初は浪江には「ちっと」も触れないつもりだった。昨年6月、プランを担当する鈴木知洋教諭(33)から「安達のスイーツめぐりができる」と声をかけられた。二本松城跡がある二本松市は、城下町らしく老舗の和菓子店が多い。安達地方で食べ歩き、紹介するつもりで「やります」と答えた。
それなのに、安達に絞ったプランを考え始めると、鈴木教諭が言った。
「浪江がどういうところか、自分たちが生活しているところの人や、県外の人にも知ってもらいたくない?」
それはそうだ。浪江高だから、ふつうは浪江町にある名所や食べ物を紹介するのだろう。けれど今、町を訪れてもらうことはできない。それなら安達地方にある浪江のものを紹介してはどうか。「知ってほしい」と今野さんたちは思った。
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実は、浪江について話すことにはためらいも。「被曝(ひばく)してんの?」。避難先の山形県の中学校に転校したとき、今野さんはクラスメートからいきなり言われた。自分たちとは違うと、突き放されたような気持ち。「同じ東北でさえこうなのに、他の地方から来る人はどう考えているんだろう」
原発事故前の町の記憶も薄れてきた。クラスメートとの間で浪江の話が出ても、はっきり場所が分かるのはショッピングセンターくらいだ。両親も忙しく、3年前を最後に町に入ってはいない。
熊谷さんは今、福島市で暮らす。浪江よりもずっと都会だ。友達と街へ買い物に行ったり、お茶をしたりするのは楽しい。けど、ふいに違和感が頭をもたげる。浪江にいたら何をしていただろう。
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プランには浪江のことを「ちっと」だけ盛り込んだ。一つは、震災後に二本松市で再開した伝統工芸品・大堀(おおぼり)相馬焼の器づくりや絵付け体験。もう一つは、ご当地グルメの祭典「B―1グランプリ」で2013年に1位に輝いた名物「なみえ焼そば」を旅行者と一緒に作ることだ。
昨年12月、仮設校舎の裏にぶわっとソースの香りが広がった。まず自分たちで焼きそばを作ってみた。「重い重い!」。鉄板の前で笑い声を上げながら、制服姿の生徒たちが、太麺に大きなへらで立ち向かう。「これ何? 豚肉?」「油が違うからかな、おいしいな」
3月に高校を卒業すれば2人とも福島県を離れる。今野さんは上京してファッション関係の学校に。熊谷さんは茨城県で動物看護師になる勉強をする。福島県のホームページなどでプランを知って訪ねて来る人たちとは出会えない。
東京や茨城県で知り合った人が興味を持ってくれれば、浪江のことを語るつもりだ。
友達と遊んだこと。近くの海に冬でも足をぱしゃぱしゃさせに出かけたこと。今野さんは「帰りたい。なんでか分からないけど」という。町名が多くの人の口にのぼらなくなることが怖い。町がないことになってしまうのでは、と。「浪江は放射能と関連づけて報じられることが多いけど、それすら知ってもらえるチャンス」
熊谷さんは、被災後の浪江のことをうまく話せる自信はない。それでも故郷、浪江のことなら「じゃんじゃん話したい」と思う。もちろん、自分たちの思い出も込めて。(永野真奈)
■観光客回復傾向、震災前の8割に
一時は東京電力福島第一原発事故前の約6割にまで減った福島県への観光客は一昨年、約4689万人と8割にまで回復した。宿泊者数は延べ約1106万人で全国13位。温泉や花見など福島を訪れる旅行者は増えている。
昨年4~6月は県とJR東日本が大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」を実施。観光客数は1357万人超で、前年同期よりも12・2%増えた。駅で観光客にあいさつしたり、観光地を案内したりする「おもてなし隊」には県内から15万人が参加した。子どもも多く、修学旅行先の関西地方で、福島を紹介するチラシを配る中学生もいた。
震災以降、支援が全国から集まる福島。一方、見えない放射能への不安が人々に向かうケースもないわけではない。県教育委員会によると、修学旅行先で「福島から来て大丈夫なのか」と言われ、泣きながら帰ってきた子どももいるという。
福島に誇りと愛着を持ってほしい。県は一昨年から故郷の魅力を発見し、旅行プランとしてまとめる「子ども ふるさと福島 魅力発掘プロジェクト」を始めた。昨年は小中高15校が参加。ホームページなどで公表し、観光客を集めたいという。
◇「どうぞおいでください」という福島の方言「こらっせ」。子どもたちは外から福島に人を呼び込もうと、様々な知恵を絞っている。地元への愛情が詰まった旅行プランやチラシ――。そこに関わった子どもたちの物語を紹介する。
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