子どもが 笑わなくなった

私が保養に行き始めたのは、震災から1年半後のことでした。きっかけは、子どもが 笑わなくなったことでした。

原発事故当時、私は4歳の幼稚園生と11か月の乳児の子育てをしていました。当時 は幼稚園でも多くの子どもたちが、放射能を気にして水筒を持ってきたりマスクをした りしていました。私の家のうしろには山があり、何回除染してもすぐにまた放射線量が 高くなってしまうので、不安は尽きることがなく、子どものためと思い、外にある全て のものに触れることを制限し、子供たちを家に閉じこめるような生活になりました。

時間が経ち夏になる頃には暑くてマスクはできなくなり、水筒等を持ってくる子の数が 少なくなってくると、周りの子との違いを娘が嫌がるようになりました。日常を送る中 で、1つ1つ自分が子どもを守るためにできることが削がれていきました。

そしてある日、子供たちが笑わなくなっていることに気づきました。震災前はとても やんちゃで明るかった娘です。  そこで初めてこの状況がおかしいと感じ、心おきなく外遊びをさせてあげようと、自 分の車で県外の公園に行きました。正直に言いますと、当時は風評被害が怖く福島県外 に出る勇気がありませんでした。色んな気持ちを抱えて連れて行った公園ですが、子ど もはブランコにも触れず、すぐに車に戻ってしまいました。

2012年夏に初めて行った神奈川県の保養キャンプでは、私達を本当に温か く迎え入れてくださり、保養最後の晩には、今まで口に出来なかった不安や苦しい気持 ちを震災後初めて言葉にすることができました。

保養中に海の近くを通ったとき、海が大好きだった娘に「海だよ綺麗だね」と言って も、娘は決して海を見ませんでした。ほんの数年でこんなにも子どもたちの気持ちを曇ら せてしまった事を思うと辛かったです。  しかし保養を重ねる度、子ども達はどろんこ遊びをしたり自然と関わったりできるようになりました。私にとって、保養は助けでしかありません。希望です。

福島県県中地域に住む小学生二人の子どもを持つ保護者 A さん
保養の公的支援を求める要望書 記者会見資料 2017.6.26より  全文はこちら     写真はイメージ

 

 

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≪せいぶらいふあくしょん≫  

2013年11月、若者3人とおやじで始めました。

light(明るい、軽い) で、 たのしく 無理なく、対話を通してface to face(顔の見える関係作り)を進めます。 

この横断プロジェクトは特定の団体に属さない非営利の市民活動です。

福島第一原発事故を教訓に、放射能から身を守り、脱原発を願う人たちとあらゆる思想・信条を超えてつながります.

≪手をつないでください≫ 

このアクションに共感し、No Nukesを願う人誰でも歓迎です。
ひとりひとりが自ら考え行動する。手伝える人は手伝う。
ネットでつながるゆるやかな会です。

このプロジェクトに参加ご希望の方はinfo@save-life-acton.org、または☎080-5325-7128〔平野)まで

≪カンパのお願い≫   (^_^;)

振替口座:ゆうちょ銀行 00980-7-234353 セイブライフアクション

他行から:店名099/当座/0234353

この活動はすべてカンパによって運営されています。(1000円でステッカー約200枚分)

知人・友人に、会合で…ステッカー配布お願いします。
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