あの時を心に刻む (96)
平成23年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から6年が過ぎました。この震災により、またその後の避難生活の中で亡くなられた方々に深く追悼の意を表すとともに、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。この度、震災から6年が経過し、記憶と資料の整理ができたことで、これまでの軌跡を記録誌にまとめることにいたしました。記録として残すことで、震災と原発事故の風化を防ぎ、事故を起こした原子力発電所の立地自治体である大熊町の現状と対応を、今後の原子力行政の参考にしていただけるのではないかと考えております。
あの日、揺れの大きさに驚きながらまず心配したことは津波でした。役場2階ロビーに災害対策本部を設置し、地震、津波対応を指示しました。テレビではずっと東北沿岸部の津波の映像が流れていて、大きな被害が予想されました。正直に申せば、原発についてはそのとき、あまり頭にありませんでした。 町に立地する東京電力福島第一原子力発電所の状況については、地震発生後、職員から「停止した」と報告がありました。原発の安全対策は「止める、冷やす、閉じ込める」が3原則。止まりさえすれば、冷やす、閉じ込めると順に進むと思っていたのです。
当時の原発の状況では「念のため」という言葉が頭に残っており、危機的な状況というより、万が一に備えているという受け止めでした。12日早朝、細野豪志内閣総理大臣補佐官(当時)から全町避難を伝えられても、割と冷静に「2、3日くらいで帰れるだろう」と考えていました。町民と同じように、私も前日から役場に泊まり込んだままの姿で町を離れました。
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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