あの時を心に刻む (20)
東京新聞2012年7月18日
「原子力明るい未来のエネルギー」
福島県双葉町の、中心街の入り口に掲げられた、看板の標語だ。
25年前、当時小学6年の大沼勇治さん(36)が、町のコンクールに応募し、選ばれた。
大沼さんは、1年4カ月の避難生活で、「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月15日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。
大沼さんは、東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は、愛知県安城市で避難生活を送る。
町が、原子力標語を公募したのは、1987年。
原発が町の未来をつくる、と信じた言葉が入選。
第一原発から約4キロの自宅近くに、鉄製の看板が、電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。
大学を出て、就職などし、29歳で帰郷。
不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地に、オール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。
ずっと、町の発展が原発とともにある、「安全神話」を疑わなかった。
しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。
「平穏な暮らしが、町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに、胸を痛めた。
自らを責め、悔いる日々から、「原発の現実を話す権利はある」と考えた。
脱原発を行動で示し、その姿を、長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたい、と思った。
夫婦が一時帰宅した、今月15日、記者も同行した。
防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け、「退場」と叫んだ。
その後、看板の手前で、持参し た画用紙を高く掲げた。
すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が、「明るい」に重なり、新しい標語が読み取れた。
「原子力破滅未来のエネルギー」
26年目の訂正の瞬間だった。
大沼さんは、「原発事故で故郷を奪われることが、二度とあってはならない。日本に原発はいらない」と話した。
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
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