帰還少なく定住進む 茨城県への原発事故避難者 

茨木新聞クロスアイ2.17  「隣接」、「似た気候」一因
毎日新聞 2.11 福島に隣接、いわきの住宅不足も一因

東京電力福島第1原発事故で県外に避難している人数は減少傾向にある中で、茨城県への避難者は福島に帰還する動きが少ないと指摘されている。福島と隣接し、太平洋に面した気候も似ており、茨城を定住先とする人も増えた。避難者を受け入れた支援も新たな段階に入っている。

 「帰れないから、福島に近いところで……」。大熊町の帰還困難区域に住んでいた主婦、玉沢優子さん(54)は2014年、北茨城市で自宅を新築した。
 原発事故後、しばらくは、内陸にある会津若松市の仮設住宅にいた。「雪が多い冬は慣れない」。沿岸に戻ろうとしたものの、多くの避難者がいるいわき市は土地代が高くて手が出ない。隣接する北茨城市に決め「以前と気候が似て、暮らしやすい」と語る。

 復興庁などによると、福島からの県外避難者は1月時点で茨城に3702人おり、都道府県別で東京、埼玉に次ぐ。1年前と比べ、東京や埼玉が400~500人規模で減ったのに対し茨城は22人減。
 避難者が一時最多だった山形はピークだった1万3033人(12年1月下旬)から今年1月は2652人に。茨城のピーク時からの減少幅は321人にとどまる。

 なぜ、茨城の避難者は減らないのか。茨城大の原口弥生教授(社会学)は、避難指示区域からの避難者が多い茨城特有の事情を挙げる。16年春に実施したアンケートでは、回答した避難者約340人の8割以上を占めた。

 避難指示区域以外からの自主避難者は山形などに多かったが、今春で避難先住宅の無償提供が打ち切られる。一方、避難指示区域では避難長期化を見込んで帰還を断念する人も増えたという。

 さらに原口教授は茨城について(1)福島に隣接し、東京も近い(2)人気が高いいわき市の住宅不足が深刻で、流入してきている--という事情も指摘。
 茨城から福島に通勤する人もおり、いわき市の女性は愛媛県に子どもと避難した後、夫がいわき市の勤務先に通えるよう茨城県ひたちなか市に移った。
 別の避難先から茨城に入る動きは今も絶えず、アンケートでは、茨城で生活を始めた時期を14年以降とした人が約4分の1を占めている。
 定住の動きも進む。避難者529人が住む茨城県つくば市によると、2月現在で家を持つ世帯は1年前に比べて34増の104世帯になった。

 富岡町に自宅があった男性は、原発事故後、単身赴任先の神奈川県に妻を呼び寄せた。さらにつくば市に避難した友人から誘われ、16年1月に新居に移った。商業施設が近いつくば市の生活は便利で、避難者の交流サークルにも入った。ただ、妻は「近くに親戚がおらず、孤立しないか不安」と漏らす。

 つくば市を中心に避難者の支援をしてきた団体代表の武田直樹さん(47)は「新たな住民として受け入れる姿勢も必要。戸別訪問などを通じ、避難者のニーズに対応したい」と話した。

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