あの時を心に刻む (34)

ビッグパレットふくしま避難所 (5)

川内村避難のときにはまったく姿を 見せなかったマスメディアの取材が、郡山に来た途端に押し寄せた。訴えた いことはたまりにたまっていた。だが、 すぐにやりきれない気持ちにさせられた。

入館間もないころの夜中、テレビ局 が取材させて欲しいといって入ってきた。もう23時を過ぎており、避難者は 就寝態勢に入っている。だが念のために「みんなとっくにやすんでいるけど、何を聞きたいの」と聞いてみると、余震は怖くないかなど、小学校低学年でも腹が立ってしまうような質問ばかり。 思わず「それでなくても不安でいるのに、寝ている人を起こしてそんなことを聞いて何になるのか」と拒否したこ とがあった。

電話での取材攻勢も殺到し、「電話での取材は受けられない。あなたに説明する前に住民の対応の方が優先なので」と何度も断らざるを得な かった。しかし断り切れないことも多かっ た。2,000人以上がまとまっているこ とがわかると、次々に政府の要人な どが訪ねて来る。それにぶら下がる かたちでマスメディアが付いて来る。

こうした非常事態の中で、取材のためにはほかのことは構わないというような専横ぶりに直面すると、彼らも仕事とはいえ我慢できないこともあった。本当は伝えてほしいことがある、それを伝えていくのが本来の 義務ではないのか。我々がいちばん 困っているときに来ないで、ここに来てわが物顔で取材場所を争い、こちらに文句を言ってくる!?──とんでもない。

また、防護服を着てヘルメットを かぶり、防護の眼鏡越しにカメラを構えて入って来たところもあった。 遠方から来たメディアだったが、避難者側はせいぜいマスクぐらいのところにその重装備姿。さすがに違和感を感じ、自分たちの格好がおかし いことに気づいたようだったが、その姿格好が住民に与える影響とか考えないのか、脱ぐのが当然ではないのかと、ふつふつと思われた。だが、これに限れば、彼らの方が正しかったのかもしれないという余地があるかもしれない…。

【写真】赤十字原子力災害情報センターより転載

富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載

 

【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて

毎週火曜日に掲載します。

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≪せいぶらいふあくしょん≫  

2013年11月、若者3人とおやじで始めました。

light(明るい、軽い) で、 たのしく 無理なく、対話を通してface to face(顔の見える関係作り)を進めます。 

この横断プロジェクトは特定の団体に属さない非営利の市民活動です。

福島第一原発事故を教訓に、放射能から身を守り、脱原発を願う人たちとあらゆる思想・信条を超えてつながります.

≪手をつないでください≫ 

このアクションに共感し、No Nukesを願う人誰でも歓迎です。
ひとりひとりが自ら考え行動する。手伝える人は手伝う。
ネットでつながるゆるやかな会です。

このプロジェクトに参加ご希望の方はinfo@save-life-acton.org、または☎080-5325-7128〔平野)まで

≪カンパのお願い≫   (^_^;)

振替口座:ゆうちょ銀行 00980-7-234353 セイブライフアクション

他行から:店名099/当座/0234353

この活動はすべてカンパによって運営されています。(1000円でステッカー約200枚分)

知人・友人に、会合で…ステッカー配布お願いします。
ステッカーを置いてもらえるお店など、ご紹介ください。
皆様からの投稿、メッセージお待ちしています。

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