あの時を心に刻む (86)
開校予定日まで実質2ヵ月弱しか工期がない突貫工事だった。大工などの工事要員も集まりにくかったが、縁を頼りにかき集めた。 グラウンドの放射線量を測ってみると0.4~0.5μSv(マイクロシーベル ト)だった。5センチの表土剥ぎ取りをすると0.1~0.2μSv以下に下がった。
この間、8月1日、延期されていた定期異動が実施され、兼務を解かれた各校教職員が開校準備に加わる。富岡町各校に立ち入り、放射線量計測器を持って安全を確かめながら必要な備品を持ち出した。 授業内容や学校行事の計画づくりもすすめられた。全国に散らばって避難先の学校に通った子どもたちが何をどこまで学習したか、それによっては内容を調整する必要もあるかもしれない。考慮に入れながら組み直しを行った。 教材は、富岡の学校から持ち出すことも考えた。だが、できるならそれは使わせたくないとの思いもあり、 インターネットで教材を寄付してくれそうなNPOなどを探した。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【写真】富岡第一小学校・富岡第二小学校 HPより 2015.3.03 今年は三春校の多目的ホールでの卒業式です。
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
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