福島・富岡校、手探りの半年 小中集約し再開、授業工夫
東京電力福島第一原発事故で閉鎖されていた福島県富岡町内の2小学校、2中学校が1校舎に集約され、今年4月に「富岡校」として再開してから半年を迎える。事故前、4校で1500人近くいた児童生徒は、今ではわずか20人。13人の教職員が子どもたちの学校生活を充実させようと、試行錯誤を続けている。
「一年生は紙テープの長さを比べてみようか」「じゃあ、二年生は調べたことを書きましょう」
小学一、二年の担任教諭、西丸賀子(さいまるのりこ)さん(24)が広い教室を行ったり来たりしながら、二年生一人に国語を、一年生二人に算数を教えていた。教員になって三年目。「指導する人数が少ないという面では楽かもしれないけど、二学年分の学習計画を立てるのは大変」と明かした。
富岡第一中を改修した二階建て校舎の二階に小中学校の教室、一階に職員室がある。中学の運動部は卓球部のみ。体育館の片隅に卓球台を置き、生徒三人と教員で練習する。部活動は他に、美術や音楽に取り組む総合文化部があるが、部員は一人だけだ。
そんな中でも、給食は校内がにぎやかになるひととき。教職員含めて全員が一階ホールに集まり、隣接する楢葉町の学校から届く温かい給食を協力して配膳する。座る場所は月一度、くじ引きで決める。六年の渡辺慶介君は「クラスの仲が良く、楽しく過ごしている。寂しさはない」と笑う。
富岡町は二〇一一年九月、町から多くの住民が避難した福島県三春町に「三春校」を設置し、小中学生二十二人が学んでいる。子どもたちに同年代と接する機会を増やそうと、算数や国語など一部教科で、富岡校と三春校をインターネットで結び、児童生徒がテレビ画面を通して一緒に授業を受ける。運動会や遠足も合同で実施しているが、全員合わせても児童生徒は四十二人にとどまる。
原発事故前、町には約一万六千人が暮らしていた。避難指示解除から一年半となったが、十月一日時点で町内に住むのは七百九十一人。多くは今も、県内外で避難生活を続けている。
校舎がある一帯はJR富岡駅に近く、復興住宅やアパートが立ち並ぶ。町の中心部で、放射線量は都心とあまり変わらないが、山側へ行けば高めのところも。子どもたちは戻ってくるのか。小学校の岩崎秀一校長(59)の答えには、不安と希望が交じっていた。
「一、二年で増えるとは思わない。今いる子どもたちが安心でき、保護者が『人数は少ないが、通わせて良かった』という学校を地道につくっていければ」
<富岡町の学校> 改修した富岡第一中の校舎で小学生14人、中学生6人が学ぶ。小学生は低学年、中学年、高学年ごとの学級。中学生は1、2年生で1学級、3年生は単独。避難した住民が多かった福島県三春町に「三春校」もあるが、21年度末に閉校する。
【写真】ひとつの学級で学校生活を送る小学1、2年生。教室の前方で2年生が国語、後方では1年生2人が算数を学んでいる=福島県富岡町で
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