続く避難者自殺
原発事故の心の傷いまだ癒えず 朝日新聞digital12.28.2015
東京電力福島第一原発事故から間もなく5年になろうとしているが、自ら命を絶つ避難者が後を絶たない。仕事を奪われ、狭い仮設住宅でうつうつとする日々。いつ自宅に帰れるか見通しがたたない。事故による心の傷は時とともに、ますます深くなっていく。
今年1月、福島県の沿岸部の市の橋のたもとで、60代男性が亡くなった。そばには男性の軽トラックと農薬の容器があった。警察は自殺と断定した。男性は原発事故で政府による避難指示を受け、近くの仮設住宅に妻と暮らしていた。
米農家だった。妻と田んぼを守り、子ども3人を育て上げた。夫婦げんかなどしたことがなかった。だが、事故で暮らしが一変。避難先を転々とし、子どもたちとはばらばらになった。田んぼは放射性物質で汚染され、仕事を失った。
狭い仮設住宅ですることもなく過ごす日々。「帰りてえ」が口癖になった。いつ戻れるか分からない自宅に通い、掃除を続けた。
事故から3年が過ぎたころ、近所では帰還を見据え、家を修理する人たちが出てきた。男性も工務店を探したが、見つからない。復興関連事業に沸き、資材も人手も不足している。取り残される不安に駆られて声を荒らげ、妻にあたることが増えた。
今年1月、寒い日だった。午後、男性は「出かける」と妻に告げ、軽トラックで仮設住宅を出た。そのまま、帰ってくることはなかった。遺書はなかった。
男性の遺族は「何の落ち度もないのに突然、全てを奪われて生殺しにされる。希望もなく生きるのは簡単ではない」と憤る。
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