母子避難 5年の軌跡 (1)

原発事故さえなければ、ごく普通に暮らしていたはずの母親からの訴え (1)

原発賠償関西訴訟 第9回口頭弁論期日での原告意見陳述 森松明希子 6月2日 大阪地裁

原告の森松明希子と申します。
発言の機会をいただきまして、心から感謝申し上げます。

私は東京電力福島第一原発事故から2カ月後の5月、大型連休をきっかけに、
福島県の郡山市から避難をすることになりました。
現在、子どもたち2人と大阪市に避難をしています。
いわゆる母子避難です。

夫は、今も福島県郡山市で、医師として事故前と同じ病院で働いて、
家族の避難生活をささえていています。
夫が郡山市に残っているのは、
福島県から避難することが出来ない患者様の治療を
放棄することが出来ないからです。

0歳で大阪に連れてきた私の娘は、5歳になりました。
0歳の時から父親と一緒に暮らすという生活を知りません。

3歳の時に避難した上の息子は、今も福島県民でありながら、
大阪の小学校に入学して、現在は小学校3年生です。
絵を描かせると、いつも大好きな父親と会えることを夢見て
東北新幹線の絵を描いて子どもなりに寂しさを乗り越えています。

子どもたちの父親である私の夫は、
そんな子どもたちの日々の成長をそばで見ることが出来ない
この5年間でした。

今日ここで、私が最も伝えたいことをお話ししたいと思います。
多くの人たちが、身の危険に直面したら逃げるのが当然で、
逃げることは簡単にできると思い込んでいます。

でも、3.11後に起きた東京電力福島第一原発事故を経験して、
そんなあたりまえのことができない社会的状況があることを、
私は身をもって知りました。
そして、すべての国民が現在進行形でそれを目撃していると思うのです。

火事が起きれば、熱いから、人は逃げ出します。
地震で家が壊れれば、崩れて下敷きにならないようにその場から離れます。
津波が海の向こうから見えれば、人は波にさらわれないように高台に走って逃げます。

ですが、原子力災害はこれらの自然災害とは異なり、
明らかに「人災」です。
そして漏れ出るものは「放射能」。
放射能は、色もない、ニオイもない、
それが低線量であれば五感で感じることは出来ません。

原子力を国策としてすすめた国が、
そして原子力産業により莫大な利益を得る東京電力が、
きちんと責任をもって放射線を管理し、
管理できない状態になればすみやかにそれを知らせ、
状況をつぶさに隠蔽せず公表し、
汚染状況を詳細に周知徹底し、
危険については警鐘を鳴らし、
適切な避難の指示・勧告、そして制度と保障を行わなければ、
一般の人々は逃げることは容易ではないのです。

そうであるにもかかわらず、高いハードルを越え、避難を決断し、
避難を続ける人たちの現実の「声」にどうか想像力を持って耳を傾けて下さい。

 

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≪せいぶらいふあくしょん≫  

2013年11月、若者3人とおやじで始めました。

light(明るい、軽い) で、 たのしく 無理なく、対話を通してface to face(顔の見える関係作り)を進めます。 

この横断プロジェクトは特定の団体に属さない非営利の市民活動です。

福島第一原発事故を教訓に、放射能から身を守り、脱原発を願う人たちとあらゆる思想・信条を超えてつながります.

≪手をつないでください≫ 

このアクションに共感し、No Nukesを願う人誰でも歓迎です。
ひとりひとりが自ら考え行動する。手伝える人は手伝う。
ネットでつながるゆるやかな会です。

このプロジェクトに参加ご希望の方はinfo@save-life-acton.org、または☎080-5325-7128〔平野)まで

≪カンパのお願い≫   (^_^;)

振替口座:ゆうちょ銀行 00980-7-234353 セイブライフアクション

他行から:店名099/当座/0234353

この活動はすべてカンパによって運営されています。(1000円でステッカー約200枚分)

知人・友人に、会合で…ステッカー配布お願いします。
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