<チャイム再び 福島・富岡小中の1学期>(2)
河北新報 8.23 &nbp;町の記憶/古里知る活動を推進
<もっと教えて>
福島県富岡町の海には東日本大震災まで「ろうそく岩」があった。
「ろうそくの形をしてたんだよ。でもね、津波で折れちゃったの」
6月21日の5時間目。1階ホールに集まった富岡小中学校の小学生たちは、近所の伊藤ヒデさん(82)らの話に耳を傾けた。
地域のお年寄りたちを招くお茶会は「古里を知る」授業の一環。児童たちがホットケーキとお茶を振る舞い、「富岡の名所は?」などと質問攻めにした。
「聞きたいことを聞けた。もっと、富岡のことを教えてほしい」と4年の阿部優芭(ゆうは)さん(9)。伊藤さんは「少しでも知っていることを伝え、未来を担う子どもたちに語り継いでほしい」と期待した。
<膨らむ好奇心>
地元で授業を再開した富岡小中学校の児童生徒17人のうち、半数以上は富岡にゆかりがない。地元出身の子どもにしても、震災当時は幼く、町の記憶は鮮明ではない。
学校は古里教育に力を入れる。「夜の森の桜並木」に遠足で出掛けたり、町職員にインタビューしたり。津波に巻き込まれて警察官が犠牲になったパトカーを見て回るなど、震災被害についても学んでいる。
ただ、町内には東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域が残る。原発事故前はツツジが有名だったJR夜ノ森駅、桜まつりでにぎわった夜の森公園は立ち入りできない。
738人(今月1日現在)にとどまる町内居住者も新住民が多く、町の歴史を語れる大人は限られる。
それでも、子どもたちの好奇心は膨らんでいる。
<原風景にする>
夏休み中の今月15日、小学6年の2人は、8年ぶりに復活した「麓山(はやま)の火祭り」に参加した。男たちがたいまつを担いで麓山を駆け上がる伝統行事だ。
2人は富岡町出身の渡辺慶介君(11)と、いわき市から転校してきた南宇宙(そら)君(11)。火祭りのことは授業や地域の人からの話で知り、たいまつを作る準備段階から関わった。
祭り当日、ハプニングがあった。たいまつが出発する麓山神社境内で、宇宙君が体調不良を訴えた。緊張と暑さが原因らしく、駆け上がりは断念せざるを得なかった。
慶介君は宇宙君の分まで奮闘。たいまつの重さと火の粉に苦戦しながら、山を登り切った。「途中でくじけそうになったけど、長く続くお祭りに参加できてよかった」。表情には充実感がにじんだ。
学校は2学期以降も、地域を知る活動を一段と推し進める方針だ。
教務主任の大野慎司教諭(42)は「この富岡という古里は、子どもたちにはまだなじみが薄い。でも、富岡で育ったことが一人一人の原風景になるよう、経験を積ませてあげたい」と強調する。
毎日1ページずつ、子どもたちは町の記憶をつづっている。
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