あの時を心に刻む (53)
三春の里にいた職員は「一時帰宅の始まるころまでは、町民と町職員とは理解し合いながら過ごしていた。それがあのころから変わってきた」と振り返る。
三春にいたころは互いに気遣いながら、助け合うことができていた。 だが、段ボール一枚の仕切りというプライバシーがない中で過ごすのは、3カ月目あたりが限界だったんだろうな と。
町民だけでなく、もう耐えきれない と限界を訴える職員も出てきた。
いつもそうだったが、国からも県からもまったく情報がない中、突然町がテレビや新聞に出るため、町民からの問い合わせが殺到した。
しかし、国も県も東京電力も現場にその姿はなく、結局はすべての怒りや 不満が町にぶつけられた。
富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載
【あの時を心に刻む】
日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故
もう二度とあんな事が起こらないように
祈りを込めて
毎週火曜日に掲載します。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。