カテゴリー:東日本より
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あの時を心に刻む (134)
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あの時を心に刻む (133)
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あの時を心に刻む (132)
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あの時を心に刻む (131)
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あの時を心に刻む (130)
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あの時を心に刻む (129)
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山菜など 残る出荷制限 【あんふぇす】
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原発事故から9年 避難なお4万人
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あの時を心に刻む (128)
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あの時を心に刻む (127)
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あの時を心に刻む (126)
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あの時を心に刻む (124)
2020.2.11
詳細を見る復興への決断 (3) 大熊側の施設面積は11㎢、居住地の約3分の1に及ぶ。家や土地、地域の町並みを失う地権者はもちろん、町としても受け入れれば震災前の町の姿を取り戻すことはか…
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あの時を心に刻む (123)
2020.2.4
詳細を見る復興への決断 (2) 中間貯蔵施設は、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う福島県内の除染廃棄物を30年間保管するため、国が整備する施設だ。事故後、県内43市町村が除染を実施…
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あの時を心に刻む (122)
2020.1.28
詳細を見る復興への決断 (1) 東日本大震災から4年が過ぎたばかりの平成27年3月13日、大熊東工業団地敷地内に、除染で出た廃棄物を入れた黒い土のう袋12個が運ばれてきた。大熊町と双葉…
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あの時を心に刻む (121)
2020.1.21
詳細を見る遠いふるさと (5) 区域再編に先立ち、第一次復興計画に記した「今後5年は帰らない」という宣言には、線量の差で分断されそうな町を一つに保とうという意図があった。ただ、5年とい…
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あの時を心に刻む (120)
2020.1.14
詳細を見る遠いふるさと (4) 平成23年12月には、国が警戒区域を放射線量によって3区域に再編する方針を提示。町の線量では、ほとんどの町民が住んでいた地域が、3区域の中で最も線量が高…
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あの時を心に刻む (119)
2020.1.7
詳細を見る遠いふるさと (3) 震災による犠牲者の追悼も防護服に身を包み、短時間で実施するしかなかった。平成23年7月24 日、津波で大きな被害を受けた熊川地区で開かれた津波犠牲者の合…
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あの時を心に刻む (118)
2019.12.31
詳細を見る遠いふるさと (2) 町が会津若松市に拠点を移してまもない平成23年4月22日、町の全域は原子力災害対策特別措置法に基づく「警戒区域」に指定された。それまでは避難の指示は出て…
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あの時を心に刻む (117)
2019.12.24
詳細を見る遠いふるさと (1) 「町として5年間帰町しない」。平成24年9月、大熊町は策定した「第一次復興計画」にそう明記した。1日でも早い帰還を目指してきた町が、一定の期間を示して…
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あの時を心に刻む (116)
2019.12.17
詳細を見る会津からの再出発 (4) 4月5日、大安の日を選び、会津若松市の旧県立会津学鳳高等学校校舎で開かれた町役場会津若松出張所の開所式。会津弁で「よくいらっしゃいました」と書かれた…