カテゴリー:福島原発事故 放射能
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あの時を心に刻む (90)
2019.6.18
詳細を見る学校が落ち着いてくるほどに、足 りないものが目立ってきた。たとえば、 大きなグラウンドはあったが、そこにあるべきブランコや鉄棒などの遊具がなかった。一小の校長は、母校(千葉大学)…
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あの時を心に刻む (89)
2019.6.11
詳細を見る富岡町小中学校・幼稚園 三春校開校 9月1日、町の決断を関係者の奔走でつなぎ実現した三春校の開校式の日。入り口の表札には「富岡町立幼稚園・小中学校」と掲げられた。 富岡幼稚…
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保養のこれまでとこれから
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あの時を心に刻む (88)
2019.6.4
詳細を見る4カ月遅れの小学校卒業式 7月23日:ベルヴィ郡山 震災当時の小学校6年生の保護者とPTAが主催した「6年生(卒業生)を祝う会」。夏休みに入った子どもたちが一堂に会しての、4…
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あの時を心に刻む (87)
2019.5.28
詳細を見る保護者への説明会(富岡町小中学校説明会)を開いたのは8月10日。 行った先の学校で元気にやっていて 友だちもできたということもあるだろうから、強制ではないことを前置きして、9月1日…
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5/29(水)無料測定会 6/1(土)開設6周年の集い
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あの時を心に刻む (86)
2019.5.21
詳細を見る開校予定日まで実質2ヵ月弱しか工期がない突貫工事だった。大工などの工事要員も集まりにくかったが、縁を頼りにかき集めた。 グラウンドの放射線量を測ってみると0.4~0.5μSv(マ…
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あの時を心に刻む (85)
2019.5.14
詳細を見る次に空き校舎を探した。郡山市近郊、三春町内などにここはと思う校舎もあったが、了解を得られなかった。 新たに仮設校舎を建てるしかないのか。だが費用がかかりすぎる……。 そこに、三春町…
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あの時を心に刻む (84)
2019.5.7
詳細を見る学校の再開(三春校開校) へ 避難の混乱の中で迎えた新学期、子どもたちも教職員も、大きな不安を抱えたままスタートを切った。それにしても富岡町の学校はどうなってしまうのか──…
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あの時を心に刻む (83)
2019.4.30
詳細を見るところで子どもたちの保護者は、 学校に通わせることができる状況なのだろうか。義務教育とはいえ、この避難で普通の生活を奪われた親たちは家計の基盤も奪われているはず。いわば路頭に迷っ…
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あの時を心に刻む (82)
2019.4.23
詳細を見る新学期が迫っていた。ほかの子どもたちはどこにいるのか。そして教師たちは──。学校は川内村への避難時に「避難解除まで臨時休校」としていたがいつになるかわからない。学校はどうなるのか…
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あの時を心に刻む (81)
2019.4.16
詳細を見る富岡町には海側の富岡地区に富岡保育所と幼稚園・小中学校、山側の夜の森地区に夜の森保育所と幼稚園・小中学校が、そして富岡地区の高台に県立富岡高校がある。地震 発生・津波の来襲を通じ…
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あの時を心に刻む (80)
2019.4.9
詳細を見る学校再開 9月1日、富岡町立小中学校三春校開校。放射能汚染の実態と放射能被ば くについての認識が進むにつれて県外転校が増加した福島県の動向(夏休み 後には約1,000人増)…
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あの時を心に刻む (79)
2019.4.2
詳細を見る「友情と絆をいつまでも」 富岡町小・中・高校生 再会の集い (平成25年8月7日) 全国で避難生活を送る富岡町の小・中・高校生が、ビッ グパレットふくしまに集まり、県内外…
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あの時を心に刻む (78)
2019.3.26
詳細を見る3ヵ月遅れの保育所修了式 地震に襲われたのは修了式の練習をした日だった。その後子どもたちは、全員無事に保護者の元に戻すことはできたものの、避難のためばらばらになった。修了式…
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あの時を心に刻む (77)
2019.3.19
詳細を見る富岡町 「東日本大震災・原子力災害」 の記憶と記録 2011.3.11-2014.3.3 より転載 【あの時を心に刻む】 日本中が恐怖に震えた福島第一原発事故 もう二度と…
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あの時を心に刻む (76)
2019.3.12
詳細を見るビッグパレットふくしま避難所閉鎖 (3) ビッグパレットふくしま避難所であったこと、なされたこと、起きたことは、良いことから悪いことまで、あまりにも多く、内容もさまざまだ。4…
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原発を終わらせるその日のために
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13億円かけて改修 開校1年 山木屋小、今春休校か
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あの時を心に刻む (75)
2019.3.5
詳細を見る8月31日、一時は2,500人余に及んだと思われる避難の人々を受け入れた「ビッグパレットふくしま避難所」の閉所式が行われた。自らも大きな被害を抱えながら5カ月半に及ぶ間、避難者を守…